涼宮ハルヒの原作


○第X章・A



 これ結構有名な事柄だと思って今まで特に何も考えずに過ごしてきたわけなのだが、なんか賛成とか反対とか以前にそもそもこの事実自体を知っている人がほとんどいないようなので、ここらで自分の意見について一通りまとめておくことにする。
 ライトノベルの先頭で暴走しているらしい『涼宮ハルヒの』シリーズ。――やっぱりここで切って自然に聞こえるのはテイルズ オブくらいなのでやめよう。改めて『涼宮ハルヒ』シリーズ。判断基準のすべては受け手の趣味の問題にのみ帰する(ば〜い流)ので、暴走していることそのものに対してどうこう言うつもりはないのだが、そもそもこの作品の元ネタって明らかに笹

○<アスタリスク>・1



 介入する。
 実行。


 終了。



○第X章・B



 自分はハルヒ長編(1年目)の中で一番面白いのは陰謀だと思っているのだが、どうも逆に陰謀は一番つまらないと感じている人も相当数いるようで、やっぱりこれってオマージュ元に対する知識の有無に少なからず起因しているのだろうなあ、と考えている次第である。まあ確かにこれだけしばりの少ないオマージュ環境なんだからもうちょっと面白い展開にできなかったもんかねぇという話はあるが、やはりこの作品の根本は前3長編作品のオマージュ姿勢に対する逆オマージュ姿勢にある。つまり、『涼宮ハルヒの陰謀』が、『ラ

○<アスタリスク>・2



 介入する。
 実行。


 終了。



○第X章・C



 ところでこの間ザ・スニーカー2003年6月号に掲載された谷川流氏のインタビューなるものを読んでみたのだが、そこで同氏は「特に尊敬している作家とか影響を受けた作品というのはありますか?」という質問に対して、「たぶん100冊読んだら、100冊から影響受けると思うんですけど……強いて言えば神林長平さんは絶対的にはずせないですよね。あと佐藤哲也さんにもすごく影響を受けました。あと朝松健さん。凄まじいインスパイアです。それから新井千裕さんなんかもめちゃめちゃ好きなんですよね。あとは小峰元さんかなぁ。ほんとはあとこれに100人ぐらい続くんですけど、特に言って今思い浮かぶのは、この5名さまですかね。何もかも影響を受けたという人たちで、この人たちみたいんを書きたいなと思ったわけです。パクリって言われなければいいなぁと思ってますが(笑)。」と語っている。氏が元ネタの作者に許可を取ったのかどうかは知る由もないが、この発言は少なくとも読者に対してハルヒ長編がオマージュ作品であることを安易に知らせるつもりはない、ということを示している(なお、偶然に思えることは全て必然であるということは、小泉抜水くんが登場早々に主張しています)。
 とは言っても、あくまでも”安易に”知らせるつもりがないだけであって、実はヒントとなるような事柄がいくつか点在していたりする(そんなわけで、これは「谷川流から読者への挑戦状」みたいなものだと自分は勝手に解釈している)。例えば、『ボクのセカイをまもるヒト2』のP.70〜P.72におけるパクリ論議とか、もっと直接的なP.193頭の”右目”の発言とか、このあたりは明らかにバカ売れしている自作品に対する自虐ネタにしか見えない。文庫違うしねー。そして、具体的にハルヒ長編が何のオマージュなのかを示すヒントもいくつかあり、例えばアニメ12話「ライブアライブ」においては、「純喫茶 第三帝国」という名前の模擬店が存在している。これは無論、オマージュ元の元ネタ(元ネタの元ネタ)中に登場するもののパロディっていうかそのまんまの名前で、ハルヒのオマージュ元を限定するにあたって大きなヒントとなってくれる。そしてさらに強力なヒントは、『長門有希の100冊』の中にあったりする。まあさすがに直接答となる本がここに挙げられているわけではないが、答のヒントとなる本、ていうかもうほぼ答だろこれみたいな本が挙げられている。そう、『ス

○<アスタリスク>・3



 介入する。
 実行。


 終了。



○第X章・D



 そういえば、ハルヒがオマージュ作品であることに自分が気づいたのは、出版順に読んでいって溜息までたどり着いた段階でなのだが、よくよく考えてみると溜息ってある意味で読者にこの事実を気づかせるために書かれた作品なんだよね。ハルヒに銃器を出しまくってアクションものにするわけにもいかない以上、長編2巻目(ちなみに、オマージュ要素を持つのは長編のみ)で自主映画を撮らせておかないと、そもそも「ハルヒがオマージュ作品である」という前提からして崩れかねない、要するに単なる偶然の一致であると解釈されかねないのである(まあ、偶然に思えることは全て必然であるということは、小泉抜水くんが登場早々に主張していることではあるが。――? なんかこれ前にも言ったような……)。
 まあ確かに憂鬱と原作(オマージュ元)1巻を比較しただけでも、自分では制御できない絶大な力を持っているがために大規模な組織から狙われている転校生(女)を中心として高校生5人(男女比が逆なのは世の流れですか。そうですか)がドタバタやった挙げ句に簡単には戻ってこれないような空間に行ってしまって最後は主人公のキスで脱出、ってな具合に共通点は多々あるのだが、そもそも世界観が全然違うため、この程度では偶然の一致であるととられてしまいかねない(もちろん、だからと言ってSOS団に敵組織との銃撃戦とかやらせたりしてたら純然たるパクリそもそもこの作品が世に出てくることはなかっただろうが)。
 だが原作2巻はこれとは事情が異なる。高校生が学園祭で上映するために自主映画を作っていたら、人々の夢が現実に出現しだしてこのままでは現実が根底から覆ってしまうさあ大変だ――という作品全体の流れが、まんまハルヒワールドに流用可能なのである。というか映画製作と怪現象の間に因果関係が存在するぶん溜息の方が優秀。てか原作この第2巻だけものすごく浮いてるんですけど何があったの。――ここでちょっと余話。溜息を読み進めていくうちに原作との連関に気づき、それと憂鬱におけるハルヒの自己紹介を考慮して、溜息の後半では異世界人が登場するんだろうなー(原作2巻では異世界人の活躍により難を逃れる。ってか学校5、6の手法も確実にここから影響受けてるよね)、とか予想しながら溜息を読んでいた人は果たしてどれくらいいたのだろうか。自分もその一人。
 ――閑話休題。続く第3巻。ハルヒでは消失。そもそも原作からして今の世代の読者が見ると「これ1巻と3巻と4巻どこが違うの?」みたいな作品なので、消失においては憂鬱以上に話全体の流れに原作との関連性が薄い。ではどこが共通項となっているのかというと、「ゆ希メインの話」、ここ。キャラ設定に関しては、ある程度似てはいるものの原作とハルヒの間に明確な1対1対応関係は存在しない。しかし長門に関しては、消失を原作3巻のオマージュにするために作られた節が強い。というかここで原作との繋がりを作っておかないと他に作るとこないやんみたいな話だからなぁ、原作。というわけで、「ヒロインに次いで強い能力を持つが極端に無口なゆ希がメインに活躍(?)する話である」というのが共通点(てか憂鬱を読んだ段階でこれに気づいた勘のいい人もいるんだろうなあ、やっぱり)。
 そんなわけで、長編である憂鬱、溜息、消失がそれぞれ原作の1巻、2巻、3巻に対応しているわけである。さて、最後の陰謀だが、これだけは今までの3巻とは完全に事情が異なる。今までのハルヒ長編3作品は、それぞれ対応する原作の巻のオマージュとなっていたが、『涼宮ハルヒの陰謀』だけは、原作第4巻の「逆」オマージュとなっている。ひたすら命懸けの戦いが続く原作(あれ? いつも通りか?)と、やたらと平和でぬるい展開が続く陰謀。主人公のピンチに機関のメンバーが助けに来てくれた陰謀と、今回に限って探偵の助けが全くない原作。ゆ希が助けに来てくれる原作と、ゆ希に頼らずに事件を解決する陰謀。おそらく鶴屋山(仮)における宝探しも、原作の無人島における海水浴と対にするために入れられたものであろう。そして正反対の展開をたどった結果、結末も正反対のものになる(まあハルヒがあんな終わり方したら物議を醸し出すとかいうレベルじゃ済まないがな)。
 なお、なぜ陰謀だけが逆オマージュになりえたのか(原作の流れから逸脱できたのか)を考えてみると、やはりそれはハルヒワールドにのみ存在する「未来人」の働きによるものであろう。ハルヒ&有希との別れという最悪の結末を迎えるのを何とか阻止するべく、原作にはない「未来人の力」で結末をムリヤリねじ曲げた朝比奈みくるキョン)。つまるところあの一見あまり意味がなさそうな時間遡行には、SOS団の崩壊を回避するというとてつもなく重要な意味があったのである! ――とか語り始めると何か本が一冊書けそうなので、ここらでやめておこう。私は『なぜ』それが起こるのかには興味はない。ば〜い宮野。
 てか、原作知らないと陰謀って単なるグダグダ作品にしか見えないと思うんですが、そこんとこどうなんでしょうね。 え? 萌え? ……あ、そう。
 そういや、1年目ハルヒ最後の巻となる『涼宮ハルヒの憤慨』の表紙で有希があっかんべーしてるのも、原作第4巻『ラ

○<アスタリスク>・4



 介入する。
 実行。
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○<インターセプタ>・0



 無限ループの可能性有。
 改竄ポイントの当該介入履歴を消去するよう要請する。


 どうやっても彼はそこに到達する。



○<アスタリスク>・5



 承認する。
 介入履歴を消去。
 非干渉モードへ一時シフトする。
 実行。


 終了。



○第X章・E



 これ結構有名な事柄だと思って今まで特に何も考えずに過ごしてきたわけなのだが、なんか賛成とか反対とか以前にそもそもこの事実自体を知っている人がほとんどいないようなので、ここらで自分の意見について一通りまとめておくことにする。
 ライトノベルの先頭で暴走しているらしい『涼宮ハルヒの』シリーズ。――やっぱりここで切って自然に聞こえるのはテイルズ オブくらいなのでやめよう。改めて『涼宮ハルヒ』シリーズ。判断基準のすべては受け手の趣味の問題にのみ帰する(ば〜い流)ので、暴走していることそのものに対してどうこう言うつもりはないのだが、そもそもこの作品の元ネタって明らかに



#本テキストの当箇所に情報のワームホールを確認、消去した。
#だがその影響で、情報に欠損が出た可能性がある。
#                   長門有希